*抑えたつもりではありますが、少しグロテスクな表現がございますので、苦手な方はご注意くださいませ。
深い深い闇がある。
奈落よりも深く。
地獄よりも暗く。
自分よりも無だ。
肌に吸い付く冷たさが心地よくて、どうやらうつらうつらと舟を漕いでいたようだ。
とはいえ何も見えないから、それが的外れな時間の行動なのかはわからない。
わからなくてもいい。
無意味だ。なにもかも。
上か下かもわからない。
右か左かもわからない。
おそらく寝そべっているのだろうが、もしかしたら壁に寄り添っているのかもしれない。
冷たくてスベスベしてて、硬くて所々継ぎ目のある石の表面に触れる感触だけが、世界の主張を成している。
それだけ。
それだけだ。
真の闇の中では己の身体の有り様すら見えない。
指を動かしたつもりだけど動いているのかなんて知らない。
自分がどんな顔をしているのかもすっかり忘れた。
本当に俺は存在するのか。
俺は闇の、闇自身の意識なのではないかと夢想することもある。
けど……どうでもいい。
いつだって、結論は『無関心』に委ねられる。
何があって、何がなくて、なんてどうでもいいわけだ。
『俺』があるのかないのかすらどうでもいい。
存在って何だ。
存在することがそんなに大事なのか。
俺は。俺なんてものは。
すでに無いんじゃないの?
無いよ。
俺はもう、ない。
それでいいじゃないか。
その方が楽だ。
『死』という概念を越え、『無』を唱える俺には、願望すら欠落した。
何もいらない。
辺りに広がる暗闇に、いつか、溶けてなくなってしまうのかもね。
一筋も。一粒も。
光のまったくない世界で俺はゆっくり、のびのび筋を伸ばす。
腕を広げた、つもり。
足を肩幅以上に広げたつもり。
つもり。つもりつもり。つもりつもりつもりつもりつもり。
「あは……あはは…あはははははははは!!」
このまま、狂気の闇に溶けてなくなれるだろうか。
「う゛お゛ぉい…!何がおかしい…」
「は…………」
ああなんたる暗鬱な現実なのだろう。
邪魔されてしまった。
溶ける前にまた邪魔された。
丁度真上。
どうやら俺はやっぱり寝そべっていたようで、もったいをつけるようにゆっくりと広がる光線に、俺の脳天が照らされる。
扉の軋む音。
空気の流れる音。
埃が擦れる音。
音、音、音音音。
眩しい。目映い。
気持ち悪い。
「……出るぞ」
「……あー…」
たるい。
ぐっと顎を上げることで扉の向こう側、なんだか馬鹿みたいに眩しい世界に立つ男へと視線をやれば、野郎の髪が光を照り返して余計眩しかった。
気持ち悪い。
「なんで?どうして?必要ないよ?馬鹿じゃないの?どうでもいい。めんどくさい。死んで?死?あは!面白くない。気持ち悪」
「月に一度の必然事項だろうがぁ。出るっつったら出るんだよ…!」
焦れたのか、男の靴が削るように床を打つ。
カツカツと進む靴音と振動が肌を震わせてビリビリする。
髪、くそ長いなぁ。
ひっぱって、むしり取って、壁にでもぶら下げておけば電灯の代わりにでもなるんじゃないか。
キラキラしすぎて、目に痛いんだよ糞野郎。
「いつまでそうしてるつもりだぁ…!」
底に秘めた苛立ちを隠しきれていない男の声音が、間近で動きを止めた。
腕を伸ばし、毛を掴んでひっぱってやりたいところだが、手首を曲げるのすら億劫で。
ぴくっと震えた指先を、野郎が掴み取る。
「立て」
言いながら引っ張り上げられる右腕。
引き上げられる肢体。
まともに立ち上がるのが久方ぶりなので、床に付けた足裏が安定せず、上体がフラフラと左右にぶれる。
不本意にも手首を掴んで隣に立つ男にぶつかって。
「行くぞぉ」
ふっと鼻で一息吐いた男は髪を揺らしながら外界へ続く扉へ向かう。
俺の腕を、しっかりと掴み取ったまま。
「お前に希望はないのかぁ」
無理矢理投与された栄養素によって身体が勝手に活力を取り戻し始めた頃。
忌々しげに俺を睨み付けていた男が話しかけてきた。
点滴をスタンドごとガラガラと引き摺りながら月光下に姿を晒せば、鮮やかな色彩に眩暈すら覚える。
「希望って、さ。可能性を望んで求めるものなんでしょ?あれ?何言ってんの俺!あはははは!!」
屋敷と屋敷の合間。
石の壁に切り取られた夜闇には星屑が瞬いている。
夜闇なんて、『闇』と呼べるほど闇ではないんだよなぁ。
「願いなんてないなぁ…。望みは……そうだねぇ…無が欲しい」
石の冷たさが足の裏に吸い付く中、俺は切り取られた空の下に歩みを止める。
数歩後ろで、男も止まって。
「死ぬのは嫌だね。痛いのも嫌だ。怖いもん。だから、無が欲しい」
にやりと口角を吊り上げ、眼前をうっすらと見据えれば、なにやら息の荒い肉塊が俺へと突進してきていて…。
「肉を引きちぎる感触も、腸を抉り出す感触も、血のぬめる感触も、爪を剥がし取る感触も…気持ちいいけどもう飽きた」
腕に突き刺さる針と管を即座に引き抜き、放り出した手で肉塊へと爪先を差し出す。
二足歩行者とは思えぬスピードの肉塊は、狂ったように歯を剥き出して、俺を噛み千切ろうと跳躍した。
けれど。
「俺の世界は、俺と、XANXUSと……スクアーロ、あんたで出来ているんだけれど」
遅い。
「XANXUSは脅えて会いにこないから、いないも同然だし」
「脅えているわけじゃねえ」
「わかってるよ。何か企んでるんでしょ…くだらねー」
掌から炎が噴出す。
視界の端によぎる点滴の針からは絶え間なく水滴が垂れ続けていた。
過剰ともいえるドーピングによって身の内に燻っていた炎が巻き上がり、鋭く形を変える。
舌をダラリと剥き出しにし、目玉を絶え間なく左右に震わせる形相が近づいてくるけれど。
…みっともないなぁ。
汚いものに長時間触れるのは御免だ。
突進してくる奴の軌道から僅かに身体を逸らせ、手首を返しながら、すれ違いざま、横っ腹に指を突き立てる。
そのまま体重をかけ、真横に蹴り飛ばしながら動く肉塊に乗り上げた。
「あは」
二撃目は、頭蓋に。
肉を引きちぎる感触。
腸を抉り出す感触。
血のぬめる感触。
爪を剥がし取る感触。
圧倒的、制圧的。
理不尽なまでの暴力を振るって他者の命を奪い尽くす。
「あんたがあんたごと、世界を消してくれればいいのに」
一ヶ月に一度、俺に許された無情な遊び。
俺を攫い、深淵の闇に閉じ込めたXANXUSが求める、幽玄なる遊戯。
獲物をいかに、原型を留めない形で仕留めるか。
殺せなければ殺される。
死ぬのは嫌だ。
痛いのも嫌だ。
だからとりあえず、XANXUSの求めるままに、差し出された狂った生贄へと手を伸ばす。
真っ赤に。
鮮烈なまでの赤に染め上げてやれば、決して姿を見せない奴の赤い目を連想させて笑いが零れた。
憎いというよりは興味がない。だからXANXUSはどうでもいい。
そう。どちらかというと。
「あんただけが俺の前に現れ続けるから……俺はいつまでたっても闇に溶けて消えてしまえない」
無意識に動かしていた手を止める。
かろうじて人間の形をしていた肉塊はすっかり本当の『肉塊』になってしまっていた。
手を引き抜き、滴る赤い水分を振り払いながら爪の間を覗き込み、挟まった赤いカスを弾き出していく。
「俺の世界は、あんただといっても過言じゃないほど、なんだから」
紅を引くように指で口元をなぞれば、鼻につく香りが嫌に増して。
「檻から出たいなんて、もう思いもしてないんだから」
『逃げたい』や『助けて』は俺の中からすっかり綺麗に削げ落ちた。
わけもわからぬまま自分すら見えない黒に落とされ、この気はふれてしまったのだろうか。
どうでもいい。
もうなにもかもがどうでもいい。
「願望じゃない。希望なんて小奇麗なものでは決してない。これは…もっとドロドロした、凝り固まった、純粋な欲望」
ああおかしい。
俺を見つめる視線。一対の銀色の瞳。
ぞくぞくする。
まるで小宇宙じゃないかスクアーロ。
お前がそんなに偉大な世界だったとは知らなかった。
「遊んでよスクアーロ。そして、次の夜には綺麗さっぱり消えてくれ」
ボタボタと赤を振り撒きながら、指先がすっとスクアーロに差し向けられる。
赤く染まった掌から、橙の炎が噴出して。
赤く染まった口元は、やけに美しく弧を描く。
チッと小さく舌打ちをしながらも、スクアーロの構える白刃はいつもながらに眩しくて。
本当にこいつは……気持ち悪いくらい厄介で―――見惚れるほどに堅牢だ。
月の綺麗な夜、一ヶ月に一度誘われる血なまぐさい遊び。
おそらく今宵も、互いに止めを刺すには至れぬまま、再び闇に封じられるのだろうと奥底で嘲いながら、俺は高らかに笑声を上げた。
「頃合か…?」
遠く、かろうじて視線に入る程度の位置から中庭を見下ろしていたXANXUSはくつくつと喉を揺らしながら目を細めていた。
カウント3
展開が少々ハードになりますので、苦手な方は…もう本当にすみません!
スルーしてくださって結構ですので…orz
様々な言い訳は全部が終わってからさせてくださいまし…!
な、なにか…甘いものでお口直しをしてくださいませυ